例えるならば石野卓球が主宰の劇団である。

よって音楽は書き割りでしかない。その書き割りも書き割りにはもったいないぐらいちゃんと作られているが本質は書き割りである。劇団電気グルーヴのファンは書き割りのことを語る者も多いが、一歩引いて劇を普通に楽しめば納得いくことも多いんじゃないだろうか?

劇団電気グルーヴはとにかくこっちにからむ。台詞を聞き流させない。耳に引っかかる。単純に切って捨てるようなチープなものではないぜ。チープな風に見えるがな。石野卓球の持つウチとソトの概念みたいのがあって、どんなひとも裁かれてしまう。そして石野卓球の裁きは面白い。ピエール瀧はとても優秀な劇団員だなあ。

砂原良徳ことまりんは自分の書いた絵が書き割りとして扱われていることを理解してから悩み劇団を去った。しばらく絵を額に入れて飾って売った。もしまた戻ってくるとしたら、書き割りに対する偏見が無くなって、代わりに劇団主宰の石野卓球のビジョンに賛同する気になった ということだろう。


追記:

実は本質的に電気は劇団という気がしている。よってこれからは劇団扱いし、音楽と同列には語らないようにすることを肝に銘じる。リスペクト!