坂本龍一の音楽的人格とイチローのファッションについて


♨ どういう姿勢で臨むのが正しいか?的なことが決まらないと、実作業に入れないところがあって、
坂本龍一とはなんぞや?といったとこまで考えたりしていたが、答えらしきものが。
♨ 今回の作業に入るにあたって"CHASM"とそのリミックス盤、そしてニューアルバム"out of noise"を繰り返し聴いた。
リミックス盤は問題無く楽しめた。
しかし、"CHASM"!なんだこれは。混在している。「音楽的人格」が。基本、音楽を聴くときにはリスナーが無意識に規定してしまう、ある種のお約束としてアーティストの音楽的人格というのがある。アーティストの立ち位置と言ってもいい。

"らしくない気はするんですよね。coroは自分は大好きです。ただファンはあれを認めるのかっていうのを知りたいですね。最近だとASIENCEの曲は良かったと思いますけど。"
APPLESEEDに使われている坂本龍一のcoroという曲について。聞いた感想、この曲について何か知っている情報などあったら教えてください
http://q.hatena.ne.jp/1083398387

坂本龍一はリスナーの想定する音楽的人格に無頓着である。いや、無頓着とは違うか。それを考えるようなレベルに留まっていないとでも言おうか。天才ならではの天然。イチローがファッションにおいて発揮するあの感じと非常に似た印象を受ける。
"CHASM"の
M-2”Coro”と
M-5"World Citizen - I Won't Be Disappointed/Looped Piano" 、
M-10"The Land Song - Music For Artelligent City/One Winter Day Mix"、
この三曲はそれぞれ別の音楽的人格じゃないか?名義をそれぞれ変えて別々のアルバムでやるべきなのだ。
攻撃的な曲や実験的な曲のための名義はB-2 Unitとしてアルバムを出す。歌ものやラップものはskmt Loves 誰々とかDJ skmt feat.ホニャララにしてアルバムを出す。そして坂本龍一名義ではCM曲など頼まれ仕事系の癒し系で統一したアルバムを出す。
このように構造改革するべき。社会派の発言も、なんか同じ人が言っていると思うと違和感があるし、お茶の間的ではないので
別キャラでいこう。原発などの事を話すモードのときは散解コンサートの衣装、メイクで、拡声器で話す。デーモン小暮閣下鳥肌実の間ぐらいの感じで。ひとつよろしくお願いします。