その2 ニートな俺の職業訓練

知らないと損する職業訓-phaのニート日記
http://d.hatena.ne.jp/pha/20080429/1209464163

職業訓練って誰が受けられるの?
失業中の人なら誰でも受けられるよ。

職業訓練が失業中の人なら誰でも受けられるように、今の状況を変えたい人ならば、誰でも自分の「職業訓練」をスタートしちゃえばいいと思います。
俺もニートなんで、なんかやんないとと日々思ってます。職業訓練校には同級生が通ってました。連日のサービス残業に耐えかねて銀行を辞めた同級生です。職業訓練校っていいんですよね。失業保険が支給されつつ訓練も受けられて。その同級生は失業保険で貯めたお金でさらに専門学校に通って税理士の資格に合格しましたよ。偉い!
職業訓練に通う以外にも何か自分にとって意味のある事をやれるとニートな人は心が安らぐと思いますよ。元々社会に適応出来なくてニートになっちゃうわけですけど、てことはそれまでの人生でホントの意味で自分のためにやってきたことが少なかったか、好きな事が社会との折り合いがついてないかなんですよね。ニートをしながら自分の安定した自我を作っていくということが大事な気がしています。
俺の場合、バイトしながら音楽やれてれば幸せだったので20代は様々なバイトや自営でスピーカーのレンタル業なんかをやってたんですが、ある時からそれが辛くなってしまってどうしても音楽一本に打ち込みたくなってしまったんですよ。それから色々あって、実家に戻ってきて今に至るんですけどね。ちゃんと自活して仕事しながら音楽をやるのは偉い!と思ってそういう人を見習って俺も頑張ってたんですが、あるときふっと俺には向いてないと気づきまして。休もう!と決めました。働きながら夢を追うというイメージもよく考えたら身近なところにいる人の影響ではなく、テレビか何かで曖昧に得た理想像だった事にも気づいた時には結構愕然としました。今はニートで後ろめたい世間様に顔向けできません・・・。が、仕方ない!俺は音楽をやりてええええええんだ!サーセンサーセンサーセン。世間には顔向け出来なくとも自分には恥じないように生きたいです。orz

ストリートでなんかやろうと思います。キーボードを弾こうかなと。
iTunes Storeで曲を売るぞと色々策を練ったり考えたりしていたんですが、先日自転車でブックオフに行った帰りに電気屋さんでカシオトーンを弾いて遊んでたんですよ。黒い鍵盤のところを適当に押さえて遊ぶというのをよくやるんですが、どう押さえても不協和音が出ないのでとても楽しい。ペンタトニックの響きが大好きということもあり、とても楽しかった。そのときにちらっと何か感じるものがあって、今日は町の方へまた自転車で出かけまして。楽器屋に行ったらカオシレーターKORG KAOSSILATOR)の展示機があって、初めてカオシレーターで遊んだんですがとても楽しかった。ものすごく欲しくなりました。黒鍵遊びと非常に近いなあとも思いました。感想は演奏が重ねていけるのが楽しい。鍵盤ではない物で演奏するのは音をいじる感覚が全く違って新鮮。といった感じでした。
カオシレーターでは狙った音を弾くのは無理があるんですね。だからカオシレーターをもし買ったらこれに鍵盤で演奏を重ねていったりしてセッション遊びをしたい。
そんなことを考えつつ遊んでいたら町にはライヴハウスとかクラブがある一角があってその横の公園で夜にギター弾いてる人やパーカッションやってる人がいるのを思い出した!こないだのカシオトーンでの黒鍵遊びと今作ろうとしているP-FUNKや、ディスコ、レゲエ、テクノを咀嚼したようなイメージの出口としてセッション遊びから作っていくのが自然じゃないかっ!
で、セッション遊びというのは人前でやるべきなんですよ。多分。てゆうかやりたい。一人で家でやると終わりがないし煮詰まるし最後は虚しくなったりしがちです俺の場合。割と人前では普段出さないパワーが出たりするほうなのでストリートに電池で動く自前の機材(カシオトーン、マイクロコルグ、QY20、ラジカセなど)を持っていってちょっとやろうかなと。やればまた違う地平が見えてくる、現実が見えてくると思うので頑張ってやろうかなと。ちなみに路上パフォーマンスは3年前かな?やったことあります。矢沢永吉の80年代の曲からロックなドラムマシーンサウンドをサンプリングしてTR-808をリック・ルービン風に重ねてトラックを作りラップをかましましたw。ほとんどの人は無視でしたがなんか通りかかった高校生とヤーサンに応援されましたwヤーサンは俺にもやらせろとかいってマイクを握ってちょこっとラップ。かわいかった。なんかあったら俺のとこに言ってこいとか言ってたな〜。神奈川県平塚駅前での話です。
まあ、今回はじめから受けるなんて思ってないので好きな事を100%やろうかなと。録音して公開します。

平塚駅前でラップのパフォーマンスした時はものすごく緊張して、歌詞も出てこなくて、もちろん全くアドリブとか出来なかったしキーボードも生で演奏するなんてとんでもない感じだったですが、ニートしながらたくさん本を読んだり、同級生にフットサルの活動に誘ってもらった経験(結構調子にのって合コンに参加までしてしまい痛い目にあったw)などから自己分析を重ねて、失敗しても別にいいやと思えるようになってきてからは人前で何かやるのも結構平気になってきたかもしれない。失敗の意味が、以前は「失敗=俺の全存在が否定される」だったのが「失敗=ま、いっか」程度になりました。やるまでは怖いですけど。よって、演奏の能力は全く変わってない気がするんですが、色々とやってみれば実地に学べる事が多いから得だと感じるようになってきたことが進歩ですね。自分的には。

業務連絡】そろそろ生き方を変えます(希望)-たけくまメモ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6245.html#more

その意味では、俺の人生は「可能性としての未来」を失うことの連続だったかもしれませんが、あのまま我慢していて病気になったり、それこそ自殺していたら元も子もなかったと思うので、まあ、しかたがなかったと思います。

たけくま先生のこの言葉、すごく分かります。なぜなら俺も自分のこだわりや、やり方がどうしても優先してしまって人生のいろんな可能性を失って生きてからです。ふと自分の人生を振り却ってみると普通に就職して暮らす事が出来ていた可能性もあったなーとか思うんですが、気がついたらこうなっていました。最近読んだ『ものぐさ精神分析』で岸田秀さんがおっしゃっていたのは「鬱というのは理想の自我が現実の自我を見下ろしている時の感情だ」といった意味合いの言葉だったんですが、ニートに限らず生きずらい人というのはそれなりに内面的に理由があるんだろうと思いますね。
ものぐさ精神分析 (中公文庫)

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YOUTUBEにいい感じのファンクなセッション遊びがありました。例えばこういうことやりたいです。
(by Jupiter One )

銀河ボブ@ニコ動(手前みそです)
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